カテゴリ:歴史文化


50 模型飛行機場  ここ長須賀町子新田東側庄内川提川表(流作)一帯は、約50年前の町村合併時に富田町が中川区に合併した機会に河川敷内の耕作を一斉に止めて庄内川に返上、洪水時の遊水地化された所でそれ以前は沢山の小作人が入って畑作をしていた。...

46 左岸庄内川第一出張所周辺  すぐ近くの坂路を降りた先に墓場らしき造成場所(4平米)がある。事務所関係の殉職者なのか、民地内の無縁仏を集めたのか、私は知らないが、時々献花が替えられているところを見ると面倒をみている人がいると思う。前を通る 時に必ず一礼して通る事にしている,、願わくば堤内敷地に移してほしい。
41 岩塚の2大施設  中電の岩塚変電所と水道局の岩塚下水処理場は、共に戦時中に計画されたもので大きな敷地が確保され、今の時代に十分機能できる能力をもっている事がすごい。  特に処理場は名駅周辺露橋処理場が工事休止中応援をかけていたわけで大したものだ。今は余裕がある分、運河の笈瀬川の分を処理するといいと思う。 42 津島神社...

36 松栄軒  橋【35万場大橋】のたもとには大きな釣具屋、兼釣餌屋があり、四季それぞれに合せた餌を用意してくれたし、釣情報は新聞より早く詳しかったりで客が絶える事がなかった。  時には店主自ら餌取りしてたので新鮮だったし、穴場もついて行って何箇所かを覚えた(新川が本拠)。...
32 万場橋・岩塚町  ここは庄内川の川止め時等の宿場があり古くから栄 えていた(対岸万場町も)道は佐屋街道で船旅をきらう人(松尾芭蕉・明治天皇さんらもそうだった様)は、熱田宿・古渡・岩塚・神守・津島・佐屋・弥冨・桑名約32kmの陸路(潮流を利用し、大船使用で船賃が安いため、佐屋から渡し船を使うこともあったと聞く)を使った。...

26 名鉄バス津島線【県道68号名古屋津島線(新大正橋)】  この道は名古屋市の幹線広小路線の延長で東山・栄・名駅、中村・大治、七宝、津島と一直線にあり、大治に名古屋市の西部浄水場(日量50万トン)がある。  以前から市バスが郊外乗り入れしているが、名鉄バスのドル箱路線であり、名古屋市バスの幹線に負けていない。 27 水道橋【大治水管橋】...
23 名鉄津島線  ここ豊公橋の通りは東は名城の南外堀通りに、西は甚目寺・七宝・須ヶ口で清須・稲沢とつながり西に進んで津島に入る。昔から尾張国の主要幹線で今も多くの人と物が行き交っている。...

20 藤吉郎の湯  入った事ないので良くは知らないが、藤吉郎は秀吉の(若年時代の名)バブル時代の温泉ブームに乗って作られ名古屋市内の勤め人が帰宅時によく使ってた。  ここ豊公橋をはじめ、市西部には地名・通り名・橋名等色々な所で戦国武将名をつけた所が多いのは仕方ないか、...

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