45 大洪水時の堤防ライン
庄内川の洪水は何度か見てきてるし孫子には 現場に連れ出し、その危険な様をケースバイケースで解説して教えてきた。特に私は伊勢湾台風と東海豪雨を体験してきた教訓が身についている。
伊勢湾の時、海岸堤がズタズタになったが昔の土木工法と資材による事は仕方ないが、稲永ふ頭(空見町)から上流に上った宝神地区で破堤したのは前日からの大量の降雨が大きく影響していたと思う。気圧による高波の事や満潮時の事も云々されるが私は上げ汐で登る力と、上流から下がる力が宝神処理場付近で衝突して水面の盛り上りが主因で影響が大きかったと考えてる。TVでみたが、アマゾン川のような幅広の大河が平常時であっても大汐で汐のスピードが早まると津波のように波頭が立って遡上する画を見たがまさしくこれだと自信をもった。
当時、あの場所は堤内側は水田だけで何も特別に変った事情はなかった。私は養成工を修了し守山区の単身者寮に居住していて、在所の中村区大正町に帰省していた(米野) 地区はこの地域で少し地盤が高く昔から農業で栄えていた。
夕方から風雨が強くなり、9時頃物置小屋が倒れたし足のふくらはぎの高さに内水氾濫していた。小屋内の物が浮いて米野小学校の方へ流れていく。
この地域では笠島駅やJR名古屋機関区の照明灯は停電しない配線になっていて明々と照明灯の光が届いていた。
前置きが長くなったが翌々日の新聞写真や記事・地図・挿絵によると上流から名鉄津島線・津島街道・JR関西線・近鉄線・国道一号線の順に水が引いて行った。何でか?、それは道床の高さの順であり周囲がまだ水に浸かっていても道床が河川堤防換りに役割を果たし途中の河川水路が汐の干満に応じて排水機の役をしていた。
下げ汐は早く、上げ汐はゆっくりだった。何分にも自分が 遊び、家族8人の食を得るため利活用した地域の事は気になるし、会社は従業員被災者救援をし、寮に収容したし、私が海部郡一帯の地形・集落情報に詳し いのと竿漕船の操作にも優れる事もすでに職場の連中に情報は周知されていたので一週間は作業していたが有休でなく出勤手当付きで行ける所迄現地へバイクで行き現場で情報収集と指導伝達をした。
特に日頃の釣り仲間との交流がこの時は大いに役立った。国道1号はドラム缶1本分の高さでカサ上げされたし、この台風を機に塩害による稲株の様子を学んだ(地盤が低く地下塩水による塩害(飛島、南陽町辺り)。
この浸水による塩害とのちがいを学んだので、この後何十年後かの河口堰建設に対するフォーラム(名大工学部辻本先生議長)の第4回~7回に声がかかり参加。三重県の木曽岬や赤須賀漁協が参考資料として提供した塩害写真の解説に誤りがある事を指導したら8回目からは案内がこなかったし写真の提示はなくなり木曽岬漁協の声が出なくなった事を私は覚えている。写真で明確に判別できたからだ。
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